緞通とは中国・インド・ペルシアから伝来した、種々の模様を織り込んだ厚い敷物用織物。佐賀県の鍋島緞通、大阪府の堺緞通とならび、日本三大緞通の一つと数えられる兵庫県の赤穂緞通。1849年、赤穂郡中村(現赤穂市中広)に生まれた「児島なか」という女性が生み出した赤穂緞通。鍋島緞通や、堺緞通とは違い、着物と同じ織り機を使い、日本画のような繊細な柄を織り上げるのが特長。
赤穂緞通、その趣ある織柄は大正から昭和初期にかけて人気を博し、その販路を海外にも伸ばすほどに。
畳1畳ほどの緞通を作り上げるのに、1年近くもの時間がかかる赤穂緞通。もちろん、その工程の全ては手作業。その手間隙かかる作業が敬遠され、時代と流れとともに工房は次々と廃業。赤穂緞通は伝説の緞通と言われるほどの存在となってしまいました。
その状況から赤穂緞通に関わリはじめ、後継者を遺すために奮闘しているのが赤穂緞通を伝承する会 花工房の井関京子さん。
伝統を重んじ、守り続ける井関さんは、その文化を愛し、そして誇りをもって日々を楽しんでいます。