桜島を有する鹿児島県。その西部地方の旧国名が「薩摩」。
戦国時代であっても、江戸時代であっても、明治維新の激動期であっても、必ず登場する薩摩という国名。そして、その国を統治する島津家。
その島津家の命を受けて行われた地下資源開発により発見された錫鉱脈こそが、薩摩錫器の始まりである。
その錫器が広く一般庶民の間に広まり始めたのは、薩長の出身者が政治を司っていた明治以降。その後、他の金属や、合成樹脂の器のシェアが大きくなり、薩摩錫器の工房の数も減り続けることに。
薩摩錫器の師であった父から、技を教わり、そして、次世代に技を伝えようとしている浅田錫器の浅田さんは「伝統とは日本の宝。伝統とは使う人の喜び」と語ります。